+瑞光寺 (京都市) ➡ 瑞光侍(ずいこう_さむらい)
'23/09/17
【ウィキペディア版】
:瑞光寺(ずいこうじ)は、京都市伏見区深草にある日蓮宗の寺。元政庵(げんせいあん)とも称される。山号は深草山。旧本山は、身延山久遠寺。潮師法縁。
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【X版】
#瑞光寺_(京都市)
瑞光侍(ずいこう_さむらい):
明治9年の廃刀令布告に伴って、身分や職を失った武士階級を揶揄する言葉。
身の振り方を改めなければならなかった侍の最終的な処世は、仏門に入ること。
入門先として人気があったのは、藩士の身分を捨て出家した、元政上人が庵を結んだ瑞光寺であった。
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【無修正版】
&瑞光寺_(京都市)
瑞光侍(ずいこう_さむらい):
明治9年に公布された「大礼服並軍人警察官吏等制服着用の外帯刀禁止の件」、所謂、廃刀令布告に伴って、身分や職を失った武士階級を揶揄する言葉。
身の振り方を改めなければならなかった侍の最終的な処世は、仏門に入ることであった。
当時、入門先として人気があった寺院の代表格は、やはり山城府京都市伏見区深草に座する瑞光寺であろう。
これは、当地に庵を結んだ元政上人(げんせい-しょうにん)こと日政(にっせい)が、彦根藩士の身分を捨ててまで出家したことに起因した。
現在、日本各地に瑞光寺の名を冠する仏閣は数多存在するが、この深草瑞光寺こそが「瑞光侍」の語源であり、由来なのである。
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●瑞光侍(ずいこう_さむらい):『瑞光寺_(京都市)』より。
*瑞光寺の『寺』から、それを構成要素に持つ「侍」を導き出し、[瑞光侍]を創造した。
●明治9年:日政の『生年』より。
*日政が、『元和9年』の2月23日、西暦では、1623年3月23日に生まれたことから。
◆大礼服並軍人警察官吏等制服着用の外帯刀禁止の件(たいれい-ふく_ならび-に_ぐんじん_けいさつ_かんり_とう_せい-ふく_ちゃくよう_の_ほか_たいとう_きんし_の_けん):1876年3月24日に公布され、3月28日に施行された、軍人や警察官などの制服職以外の刀の携帯を禁じる法令。
*要約して、帯刀禁止令、或いは、単に廃刀令とも呼ばれる。
*武士の権威であった帯刀特権を取り払い、国民の平等を実現すべく制定されたが、幕藩体制への回帰を胸に秘め燻っていた元武士の反発を招き、のちの西南戦争の布石となった。
●廃刀令(はいとう-れい):日政の『生年』より。
*日政の生年である『元和9年』からの9繋がりで、「明治9年」に発令された[廃刀令]を導き出した。
●山城府京都市伏見区深草(やましろ-ふ_きょうと-し_ふしみ-く_ふかくさ):瑞光寺の所在地である『京都府京都市伏見区深草』より。
*[山城府]は、京都府の旧国名『山城国』から。
◆元政上人/日政(げんせい-しょうにん/にっせい):江戸時代前期に台頭した漢詩人であり、日蓮宗の僧。
*京都にて地下官人(じげ-かんじん)の家に生まれ、13歳の時、彦根藩主の側室であった姉の伝手で彦根藩に仕えた。
*そして、27歳の時、病弱体質を理由に藩士を辞し、以前より入門していた日蓮宗に帰依した。
*その後、幼少の頃より嗜んでいた漢詩に傾倒し、僧でありながらも漢詩人として大成した。
※これは、'22/09/27に呟いた【#瑞光寺_(京都市):瑞光侍】の改訂版。
┗※改めて読み返してみると、「この瑞光寺である」の「この」が何を表しているのか、何に対しての「この」なのか意味不明っていう。
▶カテゴリ:慣用句/
▶参考:ウィキペディア…
┣*瑞光寺/
┣*日政/
┣*山城国/
┣*廃刀令/
┗*日本の警察官/
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▶各方面にて敬称略/
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